1日1枚。出来れば。 差  延  画  記  録  光  影  色  々。

2012年5月11日金曜日

闇雲に

記憶の螺旋階段を辿ろうとするとそこには階段など無かった事を思い出し、海だったのだという事実だけが横たわり、糸の切れた凧のように急旋回しながら視界から消え去ろうとするものは何なのか考えようとするが、それは消え去るのではなく消し去ろうとしている主体について目を向ける作業である訳だが、時折本当に見える光のように、暗喩などではなく、網膜の傷から入り込む本当の光の事だが、まるで映画が始まる前にスクリーンに映し出される光と影のように、そんなものを本当に観たことがあるのかどうか定かではないが、常に映画という言葉が入り込んでしまうように、傷というものはどこまでも、光がある限り影の存在を明らかにし続けるものだという事実には、鈍磨によって対応出来るものだと思い込んではいるが、幼いころから肉体が年老いているのなら、外界が老いてゆく事実にも鈍感な可能性はあるのだろうかと言葉を連ね、やはり最初の喪失は海だったのだと、思い出し、刻み込もうとする行為の度に実感する。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

待った、ドイツ人みたいだよ、一文が長いよタニー!私(ラテン脳)、私(しかも腹を半分アフリカ人に乗っ取られ中)、句点まで読んでは反芻中。闇雲晴れるといいね。近々、キリン送ります。

K さんのコメント...

あはは。長い文章を書こうと思ったんだけど、この日はこれが限界でした。闇雲は昨夜晴れてるよ。

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