1日1枚。出来れば。 差  延  画  記  録  光  影  色  々。

2012年6月14日木曜日

自由はすごく

不自由だ。どういう線を描いて逃げるかという事ですが。呪縛、強迫観念と言い換えてもいいけれど、はひとつの安全策でしかない。執着は幻影だと視点を変えてみて。大抵事実です。喜びと時間潰しの娯楽を一緒くたにするなんて時間の無駄だよ。希望という樹木のような概念よりも、その下に繁った大きな根の方が重要だ。根は土が無ければ存在出来ない。堆積されたもの、佇むその足元まで繋がる歴史や記憶を自覚した時に責任が発生する。何故発生するのかというと、心と体の健康の為にある程度必要だからです。他者・外界と本当の意味で関わること、対象は人間でなくてもいい、どのような選択をしたにせよ、その先には別れしかないのだから、終着点など無いのです。今まだ生きているのなら、いかに傷跡を残すか。「残す」というのは正確ではないね。何も残さずにどれだけ傷つくか、それはどれだけ関わったか(愛したか、だけれど、すぐ「愛」という言葉を使う人は信用ならないよ。私を含めて)。何も信じないまま。あっでも天体の動きは関係しているよ。星占いではなくて、作物の実りへの影響のように。星を読む、というのも旅であり学問でもある。私はインテリは嫌いなんです。エレガントさは大好きです。あなたに喜びが多くありますように。喜びも悲しみも同義です。

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