
1日1枚。出来れば。 差 延 画 記 録 光 影 色 々。
2008年3月31日月曜日
2008年3月29日土曜日
2008年3月27日木曜日
2008年3月26日水曜日
2008年3月25日火曜日
2008年3月22日土曜日
お若えの、お待ちなせえ…
「近くのキリスト教会」
を気にするようになったのは、家人がまだ入退院を繰り返していた頃。家の近くの煙草屋へ毎朝煙草を買いにゆき、その場で灰皿を借りては1本吸っていた。病院からの連絡にすぐ対応出来る様、カフェイン入りのタブレットを舐めながら朝を迎え、その1本が1日の区切りになっていた。ある日、向かいの教会に大きく書かれた文字に気付く。そこには「なぜ泣いているのか」とあった。牧師の次回講義の予定らしかった。数日間、その言葉を反芻しながら病院と自宅を行き来する。その後、気を付けて見てゆくと、かなり硬派な問いかけが続き、そのたびにそれらを勝手に受け取りつつ介護の日々も続いた。たとえこの教会の信徒になっても、決して楽にはなれないだろう、それよりももっと重い問いと真正面から向き合うしかなくなるであろうことが推測され、故に信頼に値するようにも思え、ぼんやりと田中小実昌のことを考えたりもした。
あれから情況も変化した。随分良くなったと言えるだろう。幸福や不幸、意味について考えることなどもう無い。乾いた砂を両手ですくっても、指の間からこぼれ落ちてゆくようなもの。先週、再び「なぜ泣いているのか」の張り紙を眼にし、1年半の月日を思い起こそうとするが出来ない。
1クールが終わったのだ、とだけ思う。

あれから情況も変化した。随分良くなったと言えるだろう。幸福や不幸、意味について考えることなどもう無い。乾いた砂を両手ですくっても、指の間からこぼれ落ちてゆくようなもの。先週、再び「なぜ泣いているのか」の張り紙を眼にし、1年半の月日を思い起こそうとするが出来ない。
1クールが終わったのだ、とだけ思う。
2008年3月20日木曜日
2008年3月18日火曜日
2008年3月14日金曜日
凡庸な父、偉大な息子
2008年3月10日月曜日
2008年3月7日金曜日
2008年3月5日水曜日
2008年3月3日月曜日
暫くのこと


6時間ごとに鎮痛剤を飲み、残り1錠に。寝ていても痛みで目覚める。歯科の帰り、Yさん(推定70代後半)に遭遇、変わりないか聞くと、階段から落ちて通院中との返答。強風の為、門戸が前後によろめく。ゴム製楔を試みるも、挟む先から傾くところへ、隣家の彫金作家嬢(推定20代後半)が風に飛んだマットを追いかけ出て来、貴重な銅線で固定して頂く事に。手際良い作業に唸る。翌日、庭で人の声。窓を開けると「歯の為に柔らかく炊いた」稲荷寿司、ゆで卵、果物を手にしたYさん。(右は稲荷を包んでいた紙、私の美術コレクションに加わる)この間の主食は殆ど苺。本日総合病院へ。問題無し、疲れているだけ、との結果。歯痛を伝えると鎮痛剤を2週間分(なんと!)も処方してくれた上、お勧め出来ない歯科情報までも入手。
登録:
投稿 (Atom)